生き続けてやる肺がんオヤジのつぶやき No2

肺がん脳転移ステージⅣを宣告されたオヤジが綴る日々の呟き!日々迷走中(^ ^)

子ども達への工夫

 

こんにちは(*^▽^)ノこんばんは

★ありがとうございます!

 

今日は前回に続き 子ども達への 生活環境の変化への工夫です。

 

hiroが居てくれている時から、少しずつ

3人になっても変わらないように

しました。

 

一つは 寝る場所です( ˘ω˘ )スヤァ…

hiroが元気な時は 子ども達は 各々の部屋で寝ていました。

去年の夏から 「電気代節約~ってことでみんな一緒の部屋で寝よう!」と持ち掛け

狭いですが、 4人で一つの寝室で寝るようにしました。

去年の冬は hiroが2階に上がれなくなっても

リビングで 介護ベッドの下に布団を敷き

4人で寝ていました。

hiroが亡き後も、リビングが寝室に戻りましたが、 3人で寝ています(*^_^*)

 

 

そして、食卓テーブルです

以前は 長方形の大きなテーブルを使用していましたが、 以前から子ども達がこたつを欲しがってたので、こたつを購入しました。

それを 理由に 長方形から正方形のテーブルに変えました。

この頃 hiroは座敷タイプのテーブルでの食事は立ち上がれなくなることも多くなり、介護ベッドで食べていました。

 

大きなテーブルでの

一人や二人、三人のご飯は 寂しく思えてしまうので …。。

 

環境の変化を少しでも 減らすように

寝室と食卓テーブルは 生前中に変えました😊

 

 

hiroが旅立ち 寝付けない日がありました。

そんな中、 hiroの物で寝ることにしました(*^_^*)

私は hiroの枕、娘はhiroの布団、息子はhiroの半袖、長袖Tシャツをパジャマに( *^艸^)

 

やっぱり匂いですかね(∀`*ゞ)エヘヘ

3人ぐっすり寝れるんです( ˘ω˘ )スヤァ…

 

そんな感じで hiroに包まれながら

寝ていますꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子ども達への 告知

 

こんにちは(*^▽^)ノこんばんは

主婦の12月って 色々な段取り予定、予約をしますよね~(*^_^*)

何処から掃除しよか、次の休みで 洗濯系をして~ とか 家族のインフルエンザの予約、

昭和な私は カットの予約😁

息子の散髪はhiroの役目だったので、

今年は それもプラスされ😅何日連れて行こうかな~と思案中。

美容院は予約できますが、散髪屋さんって予約じゃないのが、 不便さを感じてしまいます(ノ∀`)アチャー

先日、ペットのトリミングの予約をした時、ワクチンの証明書を探していると…!!

忘れてた(((;°▽°)) 1年 過ぎてる!!

慌てて 動物病院に行きました(>ω<〃)~

 

そんな慌しい12月を過ごしておりますꉂꉂ(ᵔᗜᵔ*)笑

 

 

今日は 「子ども達への告知」についてです。

 

 

我が家は ガン発覚当時 娘が小5年 息子が小1年の夏でした。

 

以前にも、書きましたが、hiroのガンが発覚する、三年前に 肝臓ガンで 友人を亡くしました。

この友人は 上の子と下の子がうちと全く同じの 子ども同級生で 保育園での友達でした。

お互いに上の子どもが0歲から入園させていたので、家族ぐるみで 交流していました。

 

その事もあり、

二人で 悩みました。沢山ネット検索をし、

話し合いました。

 

結果、きちんと話して、説明することにしました。

驚き、戸惑い、複雑な心境。顔に現れていました。

 

息子はどこまで理解出来て居たのかはわかりません。

息子は父に 身体を使って遊ぶ遊びを自分からは要求しなくなりました。

抗癌剤で しんどい時は 父の横で、静かにゲームをしていました。

 

ですが、 娘も息子も 父が体調良い時は

車椅子を家に置いてようと、介護ベッドを置いてようと、友達をふつーに家に連れて来て

遊んでいました(*^_^*)

 

中学生になった娘は 父と出かけれる時は友人より父親との時間を 自分から選択していました。

 

私が子ども達に対して、心がけていた事は

「動じない」ことでした。

ふらつき階段から落ちた時も、踏ん張りがきかなく、立ち上がれない時も、

着替えが一人で出来なく、お手伝いが必要になった時も、

「普通だよ~、大丈夫だよ~、いけるよ~」

と 平然とすることでした。

 

子どもって 親、大人、母親を通して

物事を判断するところがあります。

 

色々ことが起こります。ある程度次に現れるであろう、身体の変化や 症状を、主治医や

看護師さん、ネット検索をして、

聞いたり調べたりしていました。

 

そうすると、想定内の出来事になり

焦ることなく、対応できました。

 

hiroが旅立ち 10ヶ月ですが、

 

子ども達が成長して行く上で告知した事が

子ども達にとり荷が重かったかもしれませんが

現時点では、 良かったと思えることばかりです。

 

娘は先日、作文を書くことがあり、

しっかりと父親の姿、闘病に関してお世話になった 看護師さん、父親が信頼をした緩和ケアの主治医のこと。

口には出さないけど、しっかり見ていたんだなぁと思える内容でした(*^_^*)

 

息子は 働く父親の姿より、闘病中の父親の姿。 闘病中に沢山父親との時間を過ごせたことを感じています(*^_^*)

 

 

何よりも 我が家は告知した事により

家族の絆ができ、 今でも絆で結ばれている

家族になれたことが 一番 大切な大きなものを得ることが 出来たように感じています(*^_^*)

 

 

 

療養型病院③

 

こんにちは(*^▽^)ノこんばんは

12月に入ると 何かと慌しくなりますね😅

昭和な私は「年内に~」と思ってしまいます(´-ω-`;)ゞポリポリ

 

今日も療養型病院になります

 

2回目の 療養型病院は

去年の4月~7月 の3ヶ月お世話になりました

状況としては フォースラインにあたる

大学病院での免疫療法を受け

副作用の下痢で感染を起こした時です

 

1ヶ月下痢で苦しみ、収まるのに、1ヶ月かかりました。。

 

何故2ヶ月もの間苦しんだかと言うと、

一言で言えば 大学病院での 治験治療だったからです。

治験治療は色々な条件があり、免疫療法を続けるのであれば、感染を起こしても 服用出来る 薬に限度があります。

それと、大学病院は 病床数より遥かに多い患者さんがいてます。

 

主治医のH先生は hiroの治療のことを考え

ながら、色々手立てをしてくれましたが、

hiroと私は もう免疫療法はしない!

と思えたほど、苦しみ しんどかったです。。

そのことを伝えるとようやく 下痢を抑えれる

大量のステロイドを処方され 収まりました。

 

ようやく収まった後は 次に 大量のステロイドの減薬をしていきます。

ステロイドの減薬は 簡単には行きません。

様子見ながら少しずつです。

hiroと私は 減薬の為だけに 大学病院まで毎週通うことはできない。

 

市民病院に戻り、毎週通い、減薬することもできますが、 減薬の途中で発熱や何か症状が合っても、私には、仕事、子ども達のこともあり、hiroに付き添えないかもしれない。

副作用で苦しんでいる時も、仕事をしていても 気が気ではなかったです、。

 

そんな状況だったので、 ステロイド減薬を

前回お世話になった療養型病院に入院しながら、減薬をお願いしました。

 

2ヶ月程かかり減薬をして、体力、気力、食事の回復に1ヶ月。三ヶ月お世話になりました。

この時も週末は外泊をして、家に帰っていましたが、 hiroは闘病中 2階の寝室で過ごしていたのですが、 階段を一人で上り下りする

ことが難しくなっていました。。

 

そんなこともあり、今まではリビングにベッドを置くこと、hiroの居場所を1階リビングにすることを 嫌がっていましたが、

 

退院後は リビングに介護ベッドを置き

日中、私が居ない時は リビングで生活をするスタイルに切り替えました(*^_^*)

 

これは私の率直な思いになります、。

気を悪くするかもしれません、。

 

療養型病院は ガンの治療は出来ません。

ですが、私たちにとり、本人も、家族も

ガンの治療に疲れた体力気力を回復させる、療養させる 病院でした。

 

体力、気力を回復させるには在宅での療養が本人には一番だと思いますが、

我が家のように、まだ少し手のかかる子ども達が居て、私が仕事をして、のような家族には 本人も多少の気づかい、遠慮があります。

ガンの闘病は 家族も体力、気力が必要です。

 

 正直、綺麗事ばかりでの闘病は難しい時もあります。

3年7ヶ月の闘病生活で 2回で5ヶ月 利用させていただきました。

 

療養型病院は色々な利用方法があると思います。病院により、タイプも色々だと思います。

 

週末には外泊が出来るように、病院の配慮があったことがとても大きなことですが

この5ヶ月は 無駄な時間ではない、必要な時間だったと思えています😊