生き続けてやる肺がんオヤジのつぶやき No2

肺がん脳転移ステージⅣを宣告されたオヤジが綴る日々の呟き!日々迷走中(^ ^)

療養型病院 ①

 

こんにちは(*^▽^)ノこんばんは

★ありがとうございます

 

12月に入ると何かとバタバタして

少し 間が開いてしまいました ごめんなさいm(。>__<。)m

 

先日 hiroの友人達の 毎年恒例の忘年会に

子どもたちも一緒に行ってきました😊

去年は 緩和ケアから退院して直ぐで、酸素のコントロールが 上手くいかず、 体調が悪く 参加はできなかったんですが、忘年会の場所まで 私と行って、 顔だけ出せました😊

今まで hiroが参加してた、BBQや忘年会に

私と子どもたちを誘ってくれ 本当に嬉しくありがたいですね😊

おかげで 私も子ども達も楽しい時間を過ごせました😂

友人達は 娘の受験を hiroのように心配してくれ 、これからも子ども達の成長を 見守ってくれる、hiroが遺してくれた、大切な友人達です(*^_^*)

 

 

今日は 療養型病院について です(^-^)

 

hiroは3年7ヶ月の闘病生活の中で

2回お世話になりました。

 

1回目は 闘病2年を少し過ぎた頃、サードラインにあたる 抗癌剤をして、 転移があり、

脳の全脳照射が終わり、次の抗癌剤が受けれるまでの、自宅療養中の頃でした。

 

抗癌剤治療に身体も疲れ、転移の数の多さから 全脳照射しか受けれず(頭の腫瘍は 数が少なかったり、場所?により 単発で照射をするガンマナイフなら、何度でも受けれて、ある程度 消滅させれます。ですが、数が多くなると、全脳照射になり、全脳照射は深くまで効いてくれず、ガンマナイフより効果が少ない。 何よりも全脳照射を受けると 次に頭の腫瘍が分かっても 何もできない、。 全脳照射は最後の手段になります、。)

気持ちも 全て 落ち込んでしまった時でした。

 

食事も少しずつ減り、食べれなくなり、

みるみる体重が落ちていきました。

 

食べやすい物を探したり、私の出来ることはしましたが、 逆にhiroが気づかったり、。

仕事をしてる私は きちんと食べれないhiroに対応も出来ず、

本来なら次の抗癌剤までの体力回復の期間なのに、 体力気力ともに 落ちていく、。

お互いに しんどくなりだしていました。

 

市民病院の主治医に相談しても…。。

何もしてくれません。

そこで 市民病院の地域包括支援センターに相談し、 療養型を探してもらい、

お世話になることにしました。

 

本当は家で気持ちも身体も回復させてあげれるのが一番ですが、 仕事、子どもたちのこと

hiroのことを できる余裕がなかったです(;_;)

 

hiroがお世話になった療養型は私たちにとり

本当に お互いに療養できる環境を作ってくれた 病院でした。

主治医の先生も 腫瘍内科のH先生と同大学出身の同科にいたこともあり、知り合いで繋がりがあり、連携を取れる体制でした。

 

入院目的 目標は 食べれること、体力、気力の回復です。

先ず 食べれることへの 対応は管理栄養士さんと私に話を聞いてくれ、

家で 食べれない時は 高カロリーを意識してたので、濃厚なアイスクリームを1日かけて食べていたことを話ました。

hiroの好きなもの、嫌いなものも話ました。そしたら、病院でも 毎食ごとに アイスクリームを出すことにしてくれました。 

お粥は塩を多めにしてくれたり、うどんにしてくれたり。

hiroが食べやすく工夫してくれました。

 

体力回復には、リハビリ病棟もあり、

リハビリの先生が 2日に1回 リハビリを施してくれました。

 

気力回復には 主治医と看護師さんの配慮で

病院のお風呂は週2回になる為、週末は

外泊し、家に帰れる ようにしてくれました。

 

色々な考え方があると思いますが、

入院は本人も嫌だったと思いますが、

仕事をして、子どもたちのことも、hiroのことも となると、限界もあり、

私にとっても、安心と、療養できる環境でした。

 

療養型病院についてはまだまだあるので、

また次回も お伝えしますね😊