生き続けてやる肺がんオヤジのつぶやき No2

肺がん脳転移ステージⅣを宣告されたオヤジが綴る日々の呟き!日々迷走中(^ ^)

告知からの慌ただしい日々

突然の告知から数日後の

2013 

6月24~26日

病理、頭、骨等の 精密検査の為 入院

この時はまだ、祈る気持ちが強かった

何よりも 子ども達のこと、hiroの仕事のこと。

hiroは丁度転職をして一年足らずでしたが、ようやく自分のやりたい仕事への転職だったんです😊

だから、余計に体調が悪く、息切れ等あっても、仕事に意欲的でした😊

手術をしても、しばらくは抗がん剤等の治療

や定期的な通院があるだろう。

職場は待ってくれるか?! 子ども達にどう説明しようか…と 二人で考えていました。

全てがわかるまで、 癌とは言わず、体調不良の為の検査入院ということにしました。

 

この入院で私は初めて 呼吸器内科の主治医U先生に会いました。

病室で軽く挨拶をした後、病室を出た先生を追いかけ、「私も仕事をしています。毎回の受診に同席出来るかはわかりませんが、今後の治療や説明、大事なことは 必ず私の居てる時にしてください。 」とお願いしました。

二度とhiroに告知のときの思いをさせたくない、全て二人で受け入れていこうと思っていました。

 

 

7月3日

hiroは私の事を考えて、私の姉に同席してくれるよう、頼んでいました。

呼吸器内科に受診 U先生から

原発の右肺に腫瘍、脳の転移も認められました。骨への転移は認められませんでした。肺だけでいうと、ステージ的にはⅡ~Ⅲですが脳への転移があるため、ステージⅣとなります。肺よりも先ずは脳の腫瘍を最優先での処置になります。これから放射線科に行って下さい。」

淡々と説明がありました。

hiroはずっと下を向いていました。。

私は脳の転移と言われたところから

頭が真っ白になり、「なんで?!嘘やろ?!」とそればかり。。

姉に抱き抱えながら診察室を出ました。。

 

放射線科に行き姉に抱き抱えられながら、泣きじゃくる私とずっとうつむいているhiroに看護師さんが 駆け寄ってきてくれ、

「しんどい話聞いたね。辛いよね。だけどこれからの治療は二人で助け合い、お互いを思いやりながら頑張らないと、しんどいよ。」と声をかけて下さりました。

その言葉を聞き私は

「そうだ!これからhiroはもっとしんどい治療をうけないと行けない。辛くしんどいのはhiro。しっかりしよ!!」

と思い 泣くのをやめました。二人のゴングが鳴ったかのような感じでした。

hiroもしっかり顔をあげ 放射線科の先生からガンマナイフの説明を聞きました。

この言葉がなければ、二人とも悲しみから抜け出せず、闘えなかったと思います😊

本当に感謝です

 

放射線科でガンマナイフの為の入院日を決めて 病院を出ました。

 

帰宅後 二人で 子ども達への説明や仕事をどうするか等 話し合いました。

hiroは私に色んな不安があるし、弱音もあるやろうけど、精一杯闘うから。と言いました😊

二人の中で 子ども達には本当のことを話することに 同意でした。

 

 

7月4日

hiroは病状報告に会社に行きました。

会社は退職を促されましたが、今後のこともあり、即答せずに帰ってきました。

 

 

私も職場の院長に話ました。

「院長は今後の生活のこともあるから、先ずは旦那さんの治療、付き添いを優先し、

可能な時に出勤すれば良い。

絶対諦めるな‼️ 沢山の治療方法があるから、

可能性がある治療ならお金、治療費の問題では諦めるな‼️ 協力するから」

と言ってくれ、本当に嬉しく心強く思えました😊

 

 

7月16日~22日

ガンマナイフの為入院

ガンマナイフの影響で頭の浮腫みが出てステロイド。予定より少し伸びましたが、退院。

後に 腫瘍が視野を司るところにあった為、物が二重に見えたり、フラッシュのような光が入るなど 視野の影響がずっと付きまといました。。

 

この入院で私は主治医のU先生に先生と私で話をする時間を作ってもらうようお願いしました。

私は hiroと結婚し、上の娘が出来るまでの3年間 病院の口腔外科に勤務していました。

病院の口腔外科は口腔癌の治療が多く

分野はちがいますが、全く癌を知らないってことはなかったこと、

それと、hiroの癌がわかる三年前に

友人が肝臓がんで35歳で亡くなりました。

友人の余命は3ヶ月。どこの病院も治療困難と言われた友人ですが、近大病院が治験治療を提案。 その治療がピタリと合い 1年半

頑張れました。

 

U先生に再度現状の説明と今後の治療方針を確認しました。

hiroの肺癌の種類、型が抗がん剤が効きにくいこと。

ガンマナイフの後 肺の抗がん剤治療をするということ。

肺が抗がん剤で小さくなれば 手術は頭があるから不可能でも、放射線治療は出来ないか?と言うことを確認しました。

そして、 私の最大の目的である

治験の話を切り出しました。

治験は色々な思いや 意見がある、賛否両論なので、あくまでも、私の思いです。

癌と闘うには 体力、気力が一番の治療薬だと思っています。

一番体力がある、ファーストラインで

どれだけ 癌を散らせ小さくするかが勝負だと思っていました。

私の職業柄、日本の認可の薬剤が安全だけど、かなり少ないこと、治験も 段階があり、

最終段階くらいの物しか日本は治験にならないことの認識がありました。

それと、治験でも大学病院と市民病院では市民病院が遅れてると言うか 安全に近いこと。

そのことも踏まえて

抗がん剤は標準治療から選ぶのではなく、

治験対象薬も視野に入れて考えて欲しいことを伝えました。

先生はびっくりされてましたが、

治験も考えるなら、呼吸器より 腫瘍内科の方が良い。

腫瘍内科の先生に相談すると言ってくれまた。

 

そして、

hiroの残された時間、余命。

抗がん剤が適合するかしないかで大きく変わるが、半年から一年。

今のhiroにはそのままを伝えないで欲しい。

その言葉のままなら、もう少し時間が必要。

本人は一番気になっていることなので、必ず先生に聞いてくると思う。だから嘘やごまかしではなく、 違う伝え方はないか?を

相談しました。

そしてたら先生は「治療せずに無治療なら半年、治療し抗がん剤が合えば 年単位」と説明します。と言ってくれました。

 

 

私は正直、初めの印象からU先生に対し少し不信感がありました。

ですが、この説明と話をしてからは

先生を信用してみようと思えました。